Butabana

2013/06/11

【トリハダ】壮絶!美女テニスプレーヤー マリア・シャラポワの知られざる貧乏人生、チェルノブイリ原発事故、父親との絆、その生い立ちに感動と涙の嵐!!







年収29億円のスーパーセレブ、マリア・シャラポワ 壮絶すぎる貧乏人生と父との絆



 6月11日放送された。トリハダ[秘]スクープ映像100科ジテン。

 番組であの“ロシアの妖精”、と呼ばれる美人プロテニスプレーヤーとして有名なマリア・シャラポワ選手を特集していました。

 最近ではシベリアン・サイレン”とも呼ばれているそうです。ボールを打つ時に甲高い叫び声を上げながらラケットを振り抜くところからその呼び名がきているそうです。



 番組の放送では、シャラポア選手の知られざる壮絶すぎる貧乏人生が語られ、とても感動し、正直涙を流しました。

 そこで、番組で放送されたシャラポワ選手の、感動的秘話をまとめました。






 年収29億円ともいわれるスーパーセレブ、マリア・シャラポワ

 1987年4月19日生まれ。

 身長188cm、体重59kg。

 強烈なサーブとストロークによる強力なパワーテニスを得意とする。

 2013年6月8日、フランス・パリで開催されたテニス全仏オープン。

 2年連続決勝進出を果たしたマリア・シャラポワはセリーナ・ウィリアムズに決勝で敗れた。

 しかし、その気迫とパワーで多くのファンを魅了した。


 マリア・シャラポワはこう語った。


「チェルノブイリ原発事故が無ければテニスをしていなかった」



父・ユーリ・シャラポワとの絆







 ウィンブルドンでシャラポワは17歳という若さで優勝し、その名のテニス界のみならず、全世界へと轟かせた。


 その裏には父・ユーリ・シャラポワとの絆があった。


 マリア・シャラポワの父・ユーリ・シャラポワはロシアのベラルーシ・ゴメリの出身。


  しかし、1986年にチェルノブイリ原子力発電所爆発事故が発生。

 当時、最も被害の大きかったのは父・ユーリの住むゴメリ州だった。

 両親は娘のために全てを捨て、ロシア・西シベリアのニャガンへの移住を決意した。



 マリア・シャラポワがテニスを始めたのは4歳の時だった。父親であるユーリの唯一の楽しみだったテニスに興味を持ったのだ。
 

 貧しさから幼稚園にも通えなかったため、テニスが唯一の遊びになった。


 父ユーリはマリアのために独学でテニスを勉強し、マリアのコーチを務めた。



 6歳の頃、プラハ出身の女子プロテニス選手だったマルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、フロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーへの入学を勧められる。


 マルチナ・ヒンギス、錦織圭選手なども育った有名校だ。



所持金わずか7万円の極貧生活






 父ユーリ・シャラポワはマリアのため、アメリカ移住を計画。

 チェルノブイリ事故から8年が過ぎていた。


 ユーリ・シャラポワは両親などから借金をし、マリアと2人ロシア・ニャガンからアメリカ・フロリダに渡ることを決意した。


 マリア7歳の頃、父親とともに渡米。


 アカデミーの入学資格は8歳以上だったため、まだ入学は許されなかった。


 アカデミーでは高額の入学金、授業料がかかる。


 所持金わずか7万円の極貧生活。

 父・ユーリはマリア・シャラポワのために懸命に働き続けた。

 マリアは貧しく学校にも通えなかったが、生活費を切り詰め、テニスの個人コーチを雇った。



 シャラポワが9歳の時、なんとか学費を工面し、再びアカデミーを訪れ、入学テストを受ける。

 父と渡米してすでに2年が経っていた。


 そこでシャラポアの希有な才能を目にした、ニック・ボロテリー校長。

 マリアを特別奨学生として、入学を許可した。

 破格の待遇だった。


 アカデミーの創始者であるニック・ボロテリーはこう語る

 「9歳でプロと差異のないレベルだった」



 しかし、それが妬まれ、マリア・シャラポワはニック・ボロテリー・テニスアカデミーで陰湿なイジメを受けた。


 シャラポワは負けなかった。

 懸命にテニスに打ち込んだ。



 そして、マリア・シャラポワはジュニア選手としては異例の11歳で、IMG (世界のトップアスリートを抱える世界最大のスポーツマネージメント会社)と1億円という破格の契約を結んだのだ。


 14歳のマリアは初めて学園生活を満喫することができ、そこで勉強やトレーニングに励んだ。


 チェルノブイリ事故からすでに15年が経過していた。


 マリアは14歳で全豪オープンジュニア部門で準優勝

 さらに15歳で草津国際女子オープンで初優勝した。



世界一になる!17歳のシャラポワ、父との約束






 2004年6月21日。

 チェルノブイリ事故から18年。

 マリア・シャラポワは17歳で初めてのウィンブルドンを迎える。


 マリアは強豪を次々に撃破し、ベスト8まで進出。

 準々決勝では杉山愛に勝ち、準決勝ではリンゼイ・ダベンポートを破った。

 決勝戦の相手は大会を2連覇している強豪、セリーナ・ウィリアムズ






 マリア・シャラポワは、ウィンブルドン決勝戦でセリーナ・ウィリアムズになんとストレート勝ちし、見事ウィンブルドンで初優勝したのだ。






後のマリアは両親についてこう語っている。


「私の人生に選択肢はありませんでした。でも両親がリスクを冒してくれました。私が強い心を持っていられるのはそんな両親に育ててもらったから。感謝でいっぱいです」




日本にへ向け、シャラポワのあたたかいメッセージ




 
出典元:http://www.asahi.com/special/10005/TKY201109270649.html


 トッププレイヤーになってからも、マリア・シャラポアは自分の原点を忘れてはいない。
 
 マリアは両親がチェルノブイリ事故を体験した思いを汲み、国連開発計画の親善大使に就任

 そして、祖国ロシアへ約1000万円を寄付

 さらに、東日本大震災ではその直後に来日し、チャリティにも参加した。


 チェルノブイリ事故を乗り越え、世界一を掴んだ家族の絆が、そこにはあった。


 そのとき、日本に向けてマリアはこんなメッセージを贈ってくれた。

 「大丈夫!私はチェルノブイリの近くに住んでいた両親から生まれたのにこんなに元気よ!」


 現在、マリア・シャラポワは両親とともにアメリカで暮らしている。