Butabana

2014/01/29

【ナイナイアンサー】鈴木蘭々さん 障害者の兄の死についてテレビで初告白…その想いにスタジオが感動の涙に包まれた





鈴木蘭々 18歳のときに亡くなった兄について、初めて告白



 2014年1月28日放送の「解決!ナイナイアンサー」


 その中でタレントの鈴木蘭々さんが、自身のお兄さんの死という悲しい出来事について、初めてテレビで告白されていました。

 知的障害者のお兄さんが、18歳の時に亡くなったエピソードを語ってくれました。

 涙なしでは観れず、スタジオ全員が鈴木蘭々さんの勇気ある告白に静かに耳を傾けていました。







天真爛漫な明るいキャラクター。安室奈美恵とともにポンキッキーズで一躍お茶の間の人気者に



鈴木蘭々さんのプロフィール

タレント・女優・歌手

本名:鈴木 智子
生年月日 1975年8月4日
血液型 A型


東京都練馬区生まれ

東京都立代々木高等学校から堀越高等学校に編入し、同校を卒業

1989年第1回ミスチャンピオン・準グランプリ(グランプリは宮内知美)

デビュー当時は長髪で、CMや表紙モデルなどで活躍

1993年(平成5年)頃からドラマ・バラエティ番組などに出演

いわゆるバラエティーアイドルとして活躍し、ボーイッシュなショートヘアと明るいキャラクターで人気を博す

1995年(平成7年)8月に筒美京平作曲のシングル「泣かないぞェ」で歌手デビュー


1997年(平成9年)には『木曜の怪談・魔法じかけのフウ』で連続ドラマ初主演を果たす


1998年(平成10年)、23歳の時にニューヨークに留学


2000年(平成12年)頃からは舞台やドラマ出演などを中心に活動

(Wikipediaより)


鈴木蘭々「悲しみの涙が、ありがとうの涙に変わった…」お兄ちゃんがくれた幸せ



 「18くらいの時に兄が急に亡くなってしまって」


 鈴木蘭々さんの隠された、壮絶な過去。


 鈴木蘭々さんには、生まれつき身体の弱い、知的障害を抱えたお兄さんがいました。

 子供の頃は、バカにしたり、いじめたりする子どもがいっぱいいたそうです。

 しかし、お兄さんは怒るどころか、そのバカにした子にも、お菓子をあげたりする、気持ちの優しい人だったそうです。

鈴木蘭々さんは末っ子で、わがままだったそうで、よくお兄さんのシュークリームを食べてしまったり、出来ることが人とは違うため、イライラすることも多く、


「何でこんなことも出来ないの」


と言ってしまい、悲しませてしまった事もあるそうです。


 でも、お兄さんから怒られたことは一度もなかったそうです。


 13歳から仕事を初めたという鈴木蘭々さん


 しかし、18歳になった時に、お兄さんが急になくなってしまいます。


 仕事を初めて、モデルとしての仕事も忙しくなってきたころ、仕事場に近いところに引っ越し、一人暮らしをすることに決めたそうです。

 家を出るときに、

「ともこは一人暮らしをするからするから、あんまりこの家には戻ってこないよ」

 とカーテン越しにお兄さんに伝えました。


 お兄さんは「うん」とだけ言い、そのまま顔を合わせることのなく、お別れの言葉を言ってしまいました。


 それがお兄さんとの最期の言葉となってしまいます。


 お兄さんはその2日後に、亡くなってしまいます。


 お母さんが15分ほど、買い物に出かけた、その時に心筋梗塞で倒れ、誰にも看取られることなく、お兄さんは亡くなられたそうです。







「兄がもらう分の幸せを、自分はもらっているんじゃないか…」





鈴木蘭々さんが苦しかった当時の胸の内を話してくれました。


「障害児を抱えて生活していくってとても大変なことだと思う。最後には顔を合わせることもなく、子どもに先立たれた思いは母の方が辛かったと思う」


「お通夜に使う写真に、いい顔で写っている写真がなくて、絵描きの母が夜中、自分で兄の顔を泣きながら描いていました。お通夜のときは母の描いた絵が遺影となり、今もそれは家に飾ってあります」


「そのあとに不思議なことが起こって、モデル時代あまりオーディションに受かる確率が低かったが、兄の死をきっかけに仕事が突然忙しくなり始め、レギュラーがたくさん決まり始め、ポンキッキーズに出演も決まった」


「もしかして自分が仕事が忙しくなったのは、兄が本当はもっと長く生きて、神様からもらう分の幸せなんじゃないかと思って事もあります」


「願いが叶えば叶うほど、嬉しい一方、後ろめたい気持ちになったこともありました」





「悲しい涙が、ありがとうの涙に」




 本当は、兄が生きて感じるべきだった幸せを、自分はいま受けているのではないか…。鈴木蘭々さんはずっと、悩んでいたようです。




鈴木蘭々
 「でも、あるとき


 だったら


 この命をいただいている分


 一生懸命頑張ろうって思う日があるときやってきました。


 それがせめてもの自分の償いだと思いました」




「(兄のことは)20年間


 1日も忘れたことはない」





「生きている時はあんまり自由に動けなかった兄だけど、



 天国に行ったら、もっと自由に、幸せに生きれますようにって



 毎日、思ってました」




 「思ってる時は、悲しかったけど、



 毎日、毎日、繰り返しているうちに



 だんだん



 悲しい涙がありがとうの涙に変わってきました





 「20年の間に、やっと、悲しい気持ちじゃなくて感謝の気持ちに変わってきました」




 「やっと、誰も知らないで支えてくれた兄という命がいたんだ、ということを言えたことがうれしいです





「障害を持って生まれてきても、生きた意味があったんだなって、嬉しいです」





 鈴木蘭々さんが、まさかこんな想いを抱えながら、天真爛漫で明るいキャラクターを演じていたなんて、想像も出来ませんでした。

 20年という、本当に長い時間、悲しみの涙を流してきた鈴木蘭々さんでしたが、今、ありがとうの涙に変わったという勇気ある告白をしてくれました。

 これからきっと、もっと輝く姿を見せてくれる気がしました。